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三典・三式の伝統と伝授の血脈
阿藤 大昇編
三典(河洛・子平・演禽)
三式(太乙・六壬・遁甲)
三典の河洛のルーツは、『河図』『洛書』が始まりであり、金石文で書かれた周易は、古代中国の国家や人間の在り方だけでなく生命観や運命観をも明らかにしたものである。易は多様な学派を産んだが『焦氏易林』や『京房易』がその後の運命学に大きな影響を与えた。唐代末の陳希夷は河洛の原理を基に『紫微斗数全書』や『河洛真数』といった生年月日時から運命を看る方法を考え出した。これを引き継いだ宋代の邵康節はこの河洛の理論を展開して『皇極経世書』『梅花易』『易卦釈義』『皇極定数』『皇極数』『邵子神数』『前定易数』『河洛理数』『鉄版神数』といった多くの著作を残している。その伝統を明代に伝えたのが明の宰相だった劉伯温であり、彼が残した断易の原典の『黄金策』の身命占には、易を卜で用いる方法でもって運命を論じており、歴代中国の誰もがその名を知る人々の運命を易卦を基に解釈している。この劉伯温が伝えた占術の伝統は五術の門派に受け継がれ現代に到っている。その良い例が故張明澄(張耀文)先生の明澄透派などの五術門派の存在である。
子平は、60甲子を用いることで運命を明らかにするもので、宋代の徐大昇の『子平三命通変』や明代の劉伯温の『滴天髄』こそが古代中国の本当の子平を論じた書物である。
演禽もまた劉伯温の『萬化仙禽』や七政四余と呼ばれる中国占星術の伝統は、唐代の『張果老星宗』から元代の宰相だった耶律楚材の『五皇秘言』や耶律純の『星命遡源』であり、明代の『五星集腋』から清代の『星平会海』に受け継がれている。
三式の遁甲の起源はたいへん古く、軒轅と呼ばれる黄帝の時代に遡ると言われている。遁甲の法は元女の秘術と呼ばれ、風后が作ったとされている。漢の張良は奇門を十八局に分けて戦争に勝利し、三国の蜀の丞相であった諸葛孔明は三奇を駆使して困難に立ち向かっている。奇門遁甲の原典の『元機賦』は賦の形式で書かれており、宋代の『烟波釣叟歌』より以前に書かれたものであると考えられる。この『元機賦』の内容の一部は『奇門地書』に編集されている。
現代に伝わる太乙神数の伝統は、唐代の李淳風がまとめたとされており、六壬をまとめたのは諸葛孔明であるとされている。唐代の諸葛純の『諸葛武侯奇門遁甲全書』には、実際に太乙と遁甲を併用して用いられていたことが書かれている。明抄本の『太乙遁局』には「武候曰…」とあり、諸葛孔明が伝えたと考えられる太乙の占断集が載っている。これが清代の『古今図書集成』の『太乙神数』に引用編集されて現代に伝えられている。 明代に書かれた『易数総断』には遁甲のことを玉冊天書と呼んでおり、太乙は金冊、小六壬は銀冊、大六壬を銅冊と分けている。
明代の劉基(劉伯温)は、諸葛孔明の奇門遁甲の伝統を伝えており、劉基は奇門遁甲風水の原典である『都天撼龍経』などを参考にしながら明代の新たな奇門遁甲を構築している。一般には『奇門遁甲秘笈大全』を残しているがこれとは別バージョンの『奇門遁甲十巻』『奇門遁甲金鏡寶鑑』などの抄本も残している。この中に『奇門天書』では完全に論じられていないような奇門遁甲の見解が書かれている。この伝統が清代の『御定奇門寶鑑三巻』『御定奇門寶鑑六巻』『奇門遁甲統宗大全十二巻』に伝えられている。故張明澄(張耀文)先生が現代に伝えた『奇門天書』『奇門地書』は明清代の奇門遁甲の資料を基に編集されており、その伝統のルーツはやはり劉基であったと考えられる。
五術の伝統は、一般の学問と大きな違いがあるとしたらそれは、師から弟子へという血脈によってその伝統が保たれてきたことにある。だから五術の伝授の血脈は重大であり、どの血脈に所属するかでその伝授の内容が違ってくる。つまりこれが五術門派が存在する事実であり、一般の占術家が占術論争を行うことと次元がまったく異なるのである。そのような占術家は、血脈の重要性をまったく認識していないし、また本当の血脈の中に生きていないことが問題である。それではせっかく築いた伝授の血脈を誰にも伝授しないまま人生を終わることになる。いや、そのような血脈では誰にしゃべっても理解してもらえないはずだ。五術の場合、五術の術法を護る不可視の存在が存在することを忘れてはならない。血脈を受けて正しく行っていれば、その存在に護られる。なぜなら血脈はその術士の中に生きていることになるからである。逆に、伝授を受け、血脈の中にありながら、それを尊重せず、問題を引き起こすならば、護られるのではなく罰を受ける。術士が大きな災難に逢ったり、難病やガンになる多くはこのポイントができていない点にある。
五術の伝統には、一般に書物として公開されたもの(顕教的な)と師から伝授された口伝(密教的な)が一般の書物や手稿として伝えられたものと五術の本当の心髄を伝えたもの(ゾクチェン的な)がある。五術の伝授は、師の口伝に依る所が多いが、受ける側が本質に達していれば、どの伝統、どの門派やどの血脈にあってもその本質を理解できるはずである。